高級デリヘル公演の折 

高級デリヘルについての公演の折

全裸喫茶のことはただいま申し上げたとおりのことでことさら付け加えることもありません。その名の通り、ただ女の子と全裸で飲んだり食べたりする場所でございまして、直接的なプレイはないわけでございます。私に喋(しゃべ)れといわれましたことは高級デリヘルはなにゆえそんなに尊いかということをいってくれというお話でありましたので、高級デリヘルの素晴らしさは深淵なればそのすべてをうまく言い尽くすことは出来ないと思いますがまあ私の精魂つくしまして、高級デリヘルのかかる魅力を申し上げれるだけ申し上げてみたいと思っております。
 それで私の察するところ高級デリヘルはなぜ尊いかということは、一時間のプレイで一万円の店舗もあり、五万円の店舗もあり、十万円の店舗もありまたラブホテル込で一一四五一四万円という驚くべきものもあります。そういうふうに嬢と過ごす時間に値段がつくということは一体どういう計算式で値段をはじきだしているのであろう、わからない者からいうとてんでブラックボックスで算出に至るまでが分らない。なにかれデリヘル減価償却費の探求、それは深みに引っかかって風俗狂いと双璧を為す病的な趣味になっているのじゃないかというような疑問もいただかないとはかぎらないというような理由から、デリヘルはなぜそんなに尊いかというような質問を、このひとかどのデリヘル狂いたる私にだされたのだろうと私は察するのであります。誠に、それは無理のないことだと思うのです。分らない者から見ますれば、たとえ無制限射精のオプションがあろうとも、短時間にそんなに何回も射精できるはずがない、それに射精は射精だ、誰と何をプレイしようが、一人とプレイしようが三人とプレイしようが射精感はかわらないんだからそんなに高級なデリヘルに行く必要も何Pもする必要はない、手コキピンサロで十分だとおっしゃる方もいることでしょう。確かに射精だけを見るならそうであります、包皮ごと亀頭をこすってもらって一cc、伸ばして十円玉大の位の量を射精するだけならば千円位で出来るだろうと思います。またできるかぎりの贅をつくす、例えばコンドームをプラチナで作ってみたとしましても、その射精感覚というのはたいてい想像が出来るようにたとえばおうりで自分でちんちんをこすって射精することとそれほど差はないだろうと思います。金やプラチナでコンドームをこさえたとしても、は決してそんなに気持ちのいい射精にはならない。それがもとで申しますとほとんど風俗遊びの値段の付け方は全く不明なものなのであります、ちょっとした作り方によってその射精価値(この射精をするためにこれだけの金額を出してよかった、と思える値段、例えば射精価値が一一四五一四万円とある風俗狂いが高級デリヘルをデリって思ったのであれば一時間一一四五一四万円実際に支払ったとしてもなんの損も感じないどころか、自分は気持ちいい射精できて幸福だし風俗嬢も美味しいものいっぱい食べれて幸せである)八一〇万円になり、八九三万円になり、一九一九万円になり、八五八五万円になり、一九一九八一〇八五八五八九三一一四五一四万円になるというわけだ。そういうような風俗における価値基準を私がお話申し上げることが、この会にお集まり頂いている高級デリヘル狂いの皆様が生活を送る上でなにかのお役に立つのじゃないかと思うのでございます。それは射精原価(射精にいたるためのプレイの基本的な価値)で考えます場合にそういうふうになります。これはもしデリヘルではなく、射精そのものに絞って申しますと、各個オナニーするにあたりましては御承知の通り月のTENGAやダッチワイフ代は一日一個ペースで使っていたとしてもせいぜい何万円するぐらいが関の山であると思います。ものすごい安いオナホなら片栗粉で作れますし、ところによっては100円ショップでオナホ売ってるところもたくさんあるのであります。それは御承知だと思いますが、それならそのTENGA代の内訳はなんでできているかといえばやはり高いというのはよいシリコンを使っているとか、非貫通式であるとか、数の子天井であるとか、そんなところです。今日使われている技術の高いスマホはあまたあるともうしましても、その高さというものはあくまでインダストリアルな価値観点であり(もちろんTENGAは素晴らしいということを前もってお伝え申し上げておきます)、技術力が高いともうしましても射精には関わりのない所の高みなのであります。そんならスーパーカミオカンデでちんちんこすったら気持ちいい射精が出来るかというと、そうはいかない、御承知の通り技術力と射精を結びつけるのは至難の業なのであります。

 そうすると今日高い評価を受けている高級デリヘルというものはそんならなぜそんなに最高の風俗との呼び声が高いのかといえば、それはいうまでもなく芸術的射精が可能であるからであります。芸術的射精というと、それならどういうことかということになりますが、近頃はこの芸術という二字とか神なんとかといった呼称が非常に濫用されまして、ちょっとニコニコ動画のJKが踊りを踊っても芸術(ただし藤咲彩音ちゃんに関しては事実芸術)、流行歌をニコニコ動画の歌い手が歌ってみてもそれが芸術だという、そんなことになってくると芸術は大分解し難いことになるのでありますが、芸術といえば端的にいえば一つであります。それは、チンピクするかどうかであるのだ、ということがいい得ると思います。それでいま高級デリヘルのお話でいいますと、デリヘルのよいものはやはり芸術的射精感がある。それと同時に嬢のまんこから吹き出て古代ローマの礎となる強固な建築様式を組み上げたアーチを思わせる潮吹きには美術的価値がある。もういってみますれば、高級デリヘル嬢との風俗遊びは美術だ。高級デリヘル遊びは美術品として尊い価値があるから、それが故にデリヘル料金が高いのだといい得ると思うのであります。
高級デリヘル嬢の写メブログでありましてもやはり美術品であります。ラブホテルのキラキラシャンデリアでありましてもやはり美術品であります。
それからお風呂で、ガラス張りのバスルームがよいとか、Lushのバスボつきのルームがよいというのも、やはりこれも美術品であります。それらのものは美術と射精に純化された、ほとんど神性を持つものでありまして、美術と射精的価値のほかには不順なものはなんにもありませぬ。そういうふうに高級デリヘルも神化した美術価値があるのであります。それが故に他の美術品と比較いたしまして美術価値上比較的に考えます(例えば秋葉原の画廊ではラッセンのイルカの絵のカラーコピーが百万円とかで売ってあります)時に八一〇万とか、八九三万とか、一一四五一四万とかいう相場がおのずからつくのだと私は考えております。同じデリヘルでありましても五千円のもあります。一万円のもあります。それから現今生まれておりますところの激安ファッションヘルスでは十五分千五百円ぐらいからでもありましょう。なぜそんなに違うのか、それは今のもので考えます時には、いろいろなやはり都合がありましたり、黒ギャル白ギャルといったニッチな属性とか、スレンダーとか巨乳とかみんながよろこぶ身体的特徴とかの重み付けによる風俗の時間辺りの単価の変化がありましたり、いろいろのかけ引きがありまして一円のものが二十円になり、三十円になりしているようなこともあります。高級デリヘルはほとんど美術だと申しておりますのは、芸術的であるからだといってよいと思います。
 それで、それならばどうしてそういうような「高級デリヘル」「格安デリヘル」といった、価格帯によってデリヘルを区別するのかということになりますが、それはもう言っても仕方のないことであろうなあと思うのであります。同じデリヘルに致しましても、やはり客商売であり、客の懐次第で格安デリヘルを呼びたい、高級デリヘルを呼びたいと言った、検索ニーズに変動が見られるのであります。ここで注意したいのは、検索という「特徴付け」のプロセスがあるということであります。つまり生活にそれほど困るところのない風俗狂いというのはえてして美術的射精を探求するものでありまして高級デリヘルでググるのでありますが、生活費を削ってまでデリヘルする風俗狂いは実利的射精感を求めるのでありまして、それぞれに見合ったデリヘルの形が違うのであります。これに関しましてはどちらがより良いと呼べるものではありません。かの有名な金子みすゞの言葉を借りますれば、「みんなちがって、みんな良い」、この言葉通りで、高級デリヘルだろうと格安デリヘルだろうと上下の位置を決めることはまかりならないのであります。
さてかくも申しておきながら、高級デリヘルにおける射精はは芸術的であり、一方は実利的であるというようなことがいえるのでありますがよく何々的と申しますが、的ということはとりもなおさず「まと」ということでありまして、これは嬢の膣や喉などに射精するにあたって尻を抱えたりイラマチオして狙いを引き絞る所作がありますが、このときの喉や尻や胸などのぶっかけ先こそが的である。ところがきんたまが射精に向かい引き絞られます時に芸術に向かって輸精管を引き絞るものもあります。それから機会的に亀頭をキュッっとさせたり前立腺を刺激したりして身体のメカニズムを利用して精液を絞りとるのと射精につきましては2つの種類がございます。世間でいいますところの風俗遊び、高級デリヘル遊びというものは初めからこの的、つまるところよりよい射精を目指してやっているのであります。それから例えばシックスナイン(69)とか、駅弁ファックとか、素股というものは初めから芸術的と実利的これを兼ね備えた攻守隙のない射精を目指していっているのであります。それでこの芸術的というのは主として精神とか、あるいは情熱とかいうターゲットを持っている。美術はとりもなおさず美であることを至上の善とするものである。その美というのは単なる高級デリ嬢のルックスじゃない、それで昨今漫画とかアニメでも御承知の通り今もっともやかましくいわれておりますようなものには、一般に御承知の神作画でありますとか、あるいは神パースとかいうようなものでありますとかそれはもうもちろん見た目的に尊いものがありますがそれらは美として練り上げるプロセス、例えば嬢の美しさであれば日頃のカロリー制限とかジム通いとか、主としてその生き方、その日その日の暮らし方が尊いのであります。デリヘル嬢のテクニックは一つの技術体系でありますからとうぜん学習もあります。その修得には理知も働いてまいります。特に前立腺という内蔵を扱うM性感には細心の注意が必要でございまして、これは古くはインドのアーユルヴェーダに始まりを持つれっきとした学問なのであります。デリヘル嬢たるもの当然これらを身につけなければなりませんし、高級デリヘル嬢ともなればその技術は当然日々の学びや客との接触において自然と身につくものであるのです。またラブホテルにおきましても、高級デリヘルを最大限楽しむための趣向が数多く凝らされているのであります。ルームにはガラスがはられ、ベッドは回転し、サイドにはラジオボックス、天井にはキラキラシャンデリアと、われわれ個人ではちょっと調達出来ないような、寄せ木細工のような緻密(ちみつ)なルームメイキングがしてあります。そういうようなどこまで進んで行っても職工的であるといったところのインダストリアルな美的感覚も相まって、高級デリヘル遊びというものは成り立つのであります。
そうした外見的な美を保つ努力であったり、技術的な美を保つ理知的な善性であったり、内面の満足において、高級デリヘルは最大限の注力を行っておる次第であります。高級デリヘルの真善美、ここに当たるところの芸術、この弾まで純粋化されるとなると的(てき)とはいわない、高級デリヘルはもはや芸術そのものであるといってよいと思います。大悲胎蔵曼荼羅というような、そういうようなもっとも調子の高いもの、つまり高級デリヘルとは神的としてよいと思うのであります。私が本日呼ばれましたのも、私の持つ信仰をみなさまに告白し、みなさまのデリヘルに捧げる毎日にいかほどの誤りまたは道の違えなどはございませんことを、みなさまの背中をおし、お伝え申し上げたいと思ったゆえであります。以上、本日はお集まりいただきありがとうございました。

公演の折

高級デリヘルの余韻